Daily Archives: 2017年2月28日

故郷を散歩する

先日、20年来の友人たちと久しぶりに新橋で飲んだ帰りに、「米ちゃんて昔からクール…スカしてるんだよなー、もっと騒げば面白いのに。」と言われて軽く凹んでます、米蔵です。

 

休日だと言うのに嫁さんが全く相手をしてくれないので、口も聞いてくれないので、まるで俺なんて存在しないかのように振る舞うので(T_T)、一人でプンスカ(●`ε´●)と家を飛び出して遠出(家出ではない)しようと思ったけど特に行きたい所も無いし、いやあるけど沖縄とか遠すぎるしとりあえず地元へ久しぶりに行ってみるかという事で川崎まで出て京急線に乗りました。

京急と言ったら当然「梅屋敷」です。

私の生まれ故郷です。

昔は駅を降りてすこし歩けば、海が見えて、東海道に沿って発展しつつある工業地帯の賑わいと共にそれはそれは勢いのある土地だったんだよ。

と親父が言っていたような気がします。

 

京急線は高架化のせいもあって、ものすごい勢いで様変わりしました。

普段沿線に住んでいる人はもうこの「梅屋敷駅」に慣れてしまっているかもしれませんが、ここを離れて20年以上も経ち、せいぜい年に一度程度しか降り立つことのない私にとっては、まだまだ梅屋敷駅といえば21世紀…ではなく、あの「梅屋敷駅」なのでございます。

梅屋敷駅

上記リンクの画像の右側にある自販機は昔、エッチな雑誌を売っている自販機でして、小学生な私は「今日は友だちの家に泊まるから!」と親に嘘をついて、夜中に友達と一緒にスパイのように近辺を徘徊しつつ、且つバブルに突入しつつあった高度経済成長期後期の日本経済にも微力ながら貢献すべく当時はまだまだ小学生にとっては高価だった大人向け週刊誌や月刊誌を購入しては成人としての嗜みを学ぶ事に全力をかかげていたのだった。というのは嘘でエロ漫画読みたかっただけですすいません。

健全なる小学生諸君、自販機から落ちてくる雑誌の音は夜中は相当響くから気をつけよう。

 

それにしても、変わりましたねー。

もう全然どこだか分からない、ここどこ?俺はいまどこにいるの?

ただ、中学生のときの同級生の家(駅前一等地で洋服屋さん)が未だ健在だったのは感動した。

きっとものすごい立ち退き要求やら去っていくご近所さんの寂しさに耐えて踏ん張っているのだろう。

ここは梅屋敷のランドマークになって欲しい。

 

梅屋敷商店街を歩く、東邦医大方面へ。

この商店街はホントに小さな頃からお世話になった商店街で、歩きながらも当時の記憶が蘇ってきます。

跡形もなく違うお店になってしまった場所、未だ当時と変わらずに営業しているお店。いろいろです。

レコード屋さんとか、散々通ったんだよなぁ。ノーマルカセット3本買うかメタルテープ1本買うかで悩んで1時間くらい店の中でねばってなぁ。

和光ってお店で初めて腕時計を買ってもらったんだ。

本や漫画を買うのも梅屋敷。友達の家がやってたんだけど、もう無くなってしまったみたいだ。

洋服や下着も全部ここ。

電化製品も梅屋敷で買っていた。電気屋は当時と変わらず営業してたな、素晴らしい。

オカダヤって文房具屋にはかなり行ったんだが、もう無くなった。

上田屋はコンビニになった。

始めてパーマをかけた美容室。なんていったかなぁ俺の従兄弟の名前と同じ美容室だったんだが忘れた。「よしひこ」だったっけ分からない。

自前の餌を預けてた釣り堀も無くなった。

くっそ熱いお湯だった銭湯もマンションになってしまった。

親父と行ったサウナも無くなった。

 

ただ、気のせいかも知れないが、駅から離れるほど昔からのお店が残っている気がするな。

喫茶店とか、ペット屋とか。

 

俺が小学生くらいの時は夕方なんて人がごった返して真っ直ぐなんて歩けなかったんだがなぁ。

今はどうなんだろうか。

 

鬼たび通りまで歩くと、東邦医大がどーんと見える。今は「東邦医大通り」かな?

昔は狭い歩道があって、確か材木屋とか雑居ビルとかあったはずなんだが、まぁキレイに整理整頓されてしまって、あのレンガ造りだった建物もキレイな感じになってしまって、別世界です。

マジで同じ場所とは思えない。

土地ってホント生き物だよなぁって。

でもねぇ、こうしてキレイになって過ごしやすくはなってるのかも知れないけど、まぁこれも老害の戯言なのかも知れないが、昔は昔で味があったんですよ。

今でも商店街を抜けていくと、子供の頃に駆けずり回ってた昔から変わらない狭い路地があったりする、そこがいいんだ。

疑問にも思った事無かったんだけど、道幅を半減させる勢いで植木のエリアがあるんだ。これは昔から。

この狭い道、今思うと好きだなぁ。

この道、何回通ったんだろう。

いろんな時間に、いろんな友達と、いろんな事を考えながら。

 

この細道を歩いていくと、通い慣れた銭湯が。

マンションになってました。

時代ですね。

両隣の家は昔と変わらず。

この辺から思い出がこみ上げてきて、花粉症の症状がひどくなってきました。

近所でも多分最大規模だった公園。

ここは公園に面して駄菓子屋兼ゲーセンがあって、俺の幼馴染がインベーダーゲームか何かで東京都でランキング入りしたとかの記憶が。

小学1年生とかの頃ですが。

 

近辺には大きく3つの公園があって、そこを行き来して遊んでた。

ここは比較的大きなおにーちゃん達が遊んでるという印象があって、そんなには遊んだ覚えがない。

しかし、キレイに整備されて、木漏れ日が美しいです。あの頃、こんな木漏れ日の美しさには気づかなかった。

 

花粉症に悩まされつつ歩くと、我が実家の跡地に近づいてきます。

振り返ると花粉症がひどくなります。この光景はヤバイです。

実家のあったアパート。今はもう駐車場になってしまったが、周りを囲むブロック塀は当時のまま存在していて、俺が小さい頃にほじくってあけた小さな穴がまだ残っている。

今でもあのブロック塀を削った感触が残ってます。

なんでそんな事をしたのかは覚えてないんだけど。

クリーニング屋さんも俺が額をパックリ割って縫ってもらった病院も当時のまま残っていますね。

この辺は休日の午前中だからかも知れないけど、車通りも無くて本当に静かです。

こんな静かな場所で育てられた事が本当にありがたい。

何度も通ったこの道をこんな気分で振り返るとはな。

 

少し歩くと消防署があります。

ここの壁はボールをぶつけて遊ぶのに丁度良くて、ここで散々遊んだ。

今思うと消防署の人達も何も言わず遊ばせてくれてたんだなと。

メンコとか飛ばして遊んでる時に、出動のサイレンが鳴って急いで片付けたり。

それでも怒られたりはしなかった。今だったら「ここで遊んだらダメだよ。」って普通に言われるだろうし、それで誰も疑問に思わないだろう。

 

ここから少し歩くと、幼少の頃一番遊んだ公園が見えてくる。

残念ながら、ここじゃなくてもう一つの方の公園なんだけど、親子連れがいたりして写真を取るのは躊躇った。

ここの隣には図書館があるんだけど、昔はただの空き地で。

そこで良く遊んだ。

近所の神社が夏祭りの時は、暗い中で沢山の人がそこで一休みしたりして。

風船が落ちてると思って思いっきり蹴飛ばしたら、ボーリングの玉で足の親指の爪が割れたりして。懐かしいなぁ。

暗いから見えなかったんだよなぁ。まさかボーリングの玉がその辺に落ちてるとは…。

 

この公園の近くには、当時の子どもたちの補給基地とでも言うべきお店があって、その名も「本田屋」。

今はもう看板は出してないようだが、当時禿げていた親父さんは今でも健在。

もう懐かしくて花粉症の症状全開な勢いでお店へ。

今でも駄菓子をメインに商売してるようです。

いろいろ買うついでにお話を聞くともうこの場所で70年。戦後間もなくから初めた店だったようです。

おじさん、本当にありがとうございました。

少年の頃の思い出は、このお店と共にあります。

いつまでもお元気で。

 

ここから大森町商店街を抜けると、我が母校である中学校へと続く道があります。

その前に、通っていた幼稚園に寄って行きましょう。

ここも様変わりして広くキレイになりました。

私が園児だった頃に完成した遊具ももう無くなり、その分園庭が広くなったようです。

建物には「あやめ」という文字が見えて、私がいた当時と同じクラスの名前が使われている事に嬉しさがこみ上げます。

そう、なので今でも私はあやめの花が大好きです。

 

中学校へ向かう道は、懐かしさよりも記憶を探るような感覚が強くなってきて、「こんな道を通ってたのか。」と、だんだんと花粉症の症状も収まってきます。

ただ、この建物は懐かしい。

まぁ一度も足を踏み入れた事は無いんですが。

あ、反対側には一度だけあるな。俺にパソコンの楽しさを初めて教えてくれた遠藤、どうしてるかな。

 

両脇にそびえる都営団地を抜けると母校が見えてきます。

いやー、今更だがでかいなぁ。

校舎とか当時のままですね。

ただ、通学路に沿って流れる川は完全に別物のように様変わりしました。

当時は匂いもすごくて、夏場とかウンザリしてたような。

いつだったか台風の後に死体が上がったりとか。

登校時に大騒ぎしてた事もあったような。

まぁ、それは関係ないけど、とにかくドブ川だったんだ。

それが今は水が好き通り、匂いは無く、ゆりかもめとかの鳥たちが沢山います。

故郷の川を、いろんな人達がキレイにしてくれたんだなと思い、ただただ感謝です。

おまけに遊歩道やベンチもあるじゃないか。

中学校…さすがに校舎の中には入れないので、外から眺めるだけだったが、いつまでもここにあって欲しいと願わずにはおれない。

 

母校を離れ、さらに歩くともうそこは少年の頃の行動エリアではなくなり、懐かしさも霧消します。

大人になってから友達になった人がいる、周辺では有名な神社へ行ってみましょう。何気に初めてです。

浅間神社

おおー、始めてきたけど(前を通った事は何度かあるはずだが)立派な神社。

幼稚園も併設していて、すごいなぁ。

どことなく品の良さを醸し出していたのは、こういう事かと妙に納得したのでした。

ぬぬ…仲良くしておこう…。

 

ここから平和島駅まで歩きます。

途中、母校ではないが友人の多い隣の中学へ。

実は今まで場所を知りませんでしたー。

こんなトコにあったのかと、始めて知りました。いやー歩いてみるもんです。

意外に近かったのね。

近くに書道教室は無いものかと歩きましたが無いようでした。(分かる人には分かる)

 

ここから平和島駅はすぐ近くで、だけどこの道は歩いた事無くて、灯台下暗しというか平和島にも住んでたのに全然知らなかったなぁと。

始めて実家を出て会社の寮(ライオンズマンション)に住んだのが平和島だったんだが、この辺はあまり変わってないようです。

ただ、当時会社の人達と飲んだ後に行った角のラーメン屋は無くなったようです。

住んでいた期間が長くなかったせいか、それほど懐かしさもこみ上げてきませんね。

 

ここから始めての職場となった平和島へ向かいましょう。

今はもう勤めていたお店は無くなり、ラーメン屋になったはずだが、とりあえずお昼だし向かいます。

今日は競艇の日でしょうか、人がいますね。

この道も何度も通ったはずなんだが…、あまり思い出がありません。

そういえばこの道を通ったのはいつも深夜でした。

吉野家も無くなったなぁ。

店でさんざん飲んだ後に吉野家に500円握りしめながら向かって特盛りたべて、それでも腹いっぱいじゃなかった。

若かった。

 

この通りにはお袋の葬儀を行った斎場もありますね。

そして、平和島。

遠くに見える京急開発の建物は随分と立派になったように見えます。

そして、ドン・キホーテ…。

そこはあえてスルーして、温泉方面に向かいましょう。

ここはかろうじて当時の面影が…ほんのすこしだけあります。

2階がクアハウスで3階が私の勤めていた平和島大飯店という中国料理屋でしたが、以前に来た時はラーメン屋になっていました。

とりあえずそこでラーメンでも食べて…と思って3階に行くと、なんと広大なダーツバーと化していました。

かろうじて隅の方に(昔は「和室」と呼んでいたエリア)焼肉屋のような店があるようです。

 

当然だが、昼間なのでダーツバーには誰もお客がいません。

なぜここにダーツバーを作ろうと考えたのか、京急開発のお偉方に聞いてみたい気がします。

夜は若者で賑わうのでしょうか…。

 

とりあえずここで昼飯を食べる事は断念。

そのままテクテクと大森駅方面へ歩きます。

もうここまで来ると、懐かしさは無く、一人散歩の休日も終わりな気分になってきました。

ただここで帰るのは早すぎるので、とりあえず横浜にでも行ってみますか。

 

と、横浜に行ってはみたけど、実際特に面白くもなんともないです。

時間早くて飲み屋もやってないし、FBで友達とやり取りしてて気づいたが

そもそも翌日が健康診断で酒飲むとか出来ないし。

スゴスゴと何もせず徘徊したのみで今度は地下鉄のブルーラインに乗って、あざみ野へ。

結局、あざみ野駅のしぶそばで、天玉うどんです。

ここからは普通に家に帰りました。

 

久しぶりに故郷を歩いてリフレッシュできた気がする。

そして、歩いていて思ったけど、坂が無いよなぁ。

ずーっと平地だから、歩道橋とかちょっと高い所に上がると結構遠くのビルとかが見えるんだ。

坂だらけの場所に長く住んでるから、それがホントに独特の光景で、でもそういう景色を少年の頃の俺は普通に見ていて、そういう記憶がまだどこかに残っていて、そういう景色を見るたびに何か懐かしい気がして心地いい気分になる。

自転車で遠くに行くのも、キャンプで自然の中にいるのも、何かそういう景色をどこかで求めていて、心地よいと感じるからだったのかなと、こじつけのようだが感じましたよ。

関係無いけど、田園都市線で一番美しいと思う景色は、二子玉から二子新地の間の多摩川にかかる橋を渡る時に見える遠くの富士山や山々の景色だと勝手に思ってます。

 

いつかここに戻ってきたいです。