茨城に帰省。地震の爪痕

Posted by yonezo in 日記 | Leave a comment
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春休み最後の日曜という事で嫁の実家に帰省してきました。
震災から1週間ほどはまともに連絡も取れず、かなり不便・不安な状況で生活する事を余儀なくされていたようだが、
かなり改善されてきたようで、ようやく寝間着を着て寝れるようになってきたという事だった。

クルマで向かったんだが、常磐道から北関東自動車道にかけて、やはり所々に地震の影響と見られる工事跡や段差が数多くあった。
80km/hの制限が今でもかかっていて、確かにここを150km/hで走るのは危険だなと。
まぁ普通でも十分に危険なわけだが。

茨城に入ると、ブルーシートを屋根の上にかけている民家が沢山見えた。
多分、瓦が落ちたりして雨漏りするんではないかと想像。

で、実家についたんだが、近所を見渡すだけでもブロック塀が崩れていたり、屋根の上のシートが飛ばされないようにと、まるで建物ごと梱包するかのようにロープを渡しているアパートなど、結構な爪痕でした。


玄関前の門部分が崩れている。
震災当時は散乱して危険だっただろうなというのが分かる。


ロープだらけのアパート。

中でも被害が凄かったのは、墓地。
近所に小さな墓地があったんだが、背の高いお墓は軒並み倒壊していた。

大分、片付けられてはいたが、無残。

物資やライフラインについては復旧していて、特に困ってはいないようだった。
買い占めもあったようだが、畑もあったりして野菜や米は採れるので、特に困ってはいなかった様子。
ただ、帰省中にも震度4とかの余震があったりして、不安な中生活をしているようだった。

液晶テレビも倒れて、液晶が割れてしまい、まともに見ることができない。
キッチンでは棚の中にあったグラスや皿が飛び出してほとんど割れたらしい。
壁には地震のせいで亀裂やすき間ができてしまっている。
幸い、地震保険に加入していたようで、50%の保障が受けられるようだ。

2階の和室では畳が歪み、本棚が斜めに歪んでいる。
この辺では比較的被害が小さかったのか、他の家は外壁の至る所に亀裂の補修跡が見られた。

子供を連れて、近所を散歩した。
空き地や、雑草だらけの土地が至る所にあって、空が広い。

原発の問題や政府対応、防災計画、世界中からの募金、震災で生まれた悲劇や美談。
いろいろな風評、買い占め、ガソリン、津波の圧倒的な力…。

いろいろな話しや映像が乱れ飛んで、実際、放射能とかどの程度危険なのかさっぱり理解できないのが実情。
チェルノブイリでも、実際には退避勧告が出されている超危険な土地に戻って今でも不便な生活の中で暮らしている人達もいると言うし、事故後にがん患者などが大量発生したというのも、実際には放射能との直接の関連性はまだ証明されていないとも聞く。
「だから放射能は危なくない」と思っているわけじゃないが、正直言って

「いたずらに騒ぐ必要は無いんじゃないか?」と思っている。
関東が危険だと言われても、行くところ無いしw

ただ、親として子供たちが安全に安心して今後も暮らせるようにと願って、生きていくだけなんだと思ったのでした。
今は募金と節電くらいしか、できる事なんて無いよな。

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