昨日、髪を切りに行った時に”地肌が荒れていますね、何かストレスでもあるんじゃないですか?”
と言われた。
赤くなっていると。
このまま円形脱毛症とかにならないかと心配だ。
その原因をあれこれと考えるが、やっぱりそれは「彼女が欲しい」とか「仕事がうまくいかない」とかじゃなく。
ダントツに「親父」の存在な訳です。
親と同居している人や、一人暮らしの効率の悪さを理由に実家に帰って親と一緒に暮らす人はワシの友人にもいますが、
一人暮らしをしている所に親が転がり込んでくるという話しは、さすがにワシの記憶にもない。
同じ「同居」でもまるで意味が違います。
親不孝者、未熟者、薄情者、鬼畜、外道・・・。
なんと言われようと、ストレスは溜まる。
溜まるものは溜まる。
話しを聞いた事が無いくらいだからワシの周りに経験者はいない。
ましてやこんな家庭の事情など誰にも愚痴や相談など話せやしない。
毎日、心の中で親父を罵らない日は無い。
最低だ。
寝たきりになった親の介護を毎日続けている人の話しをTVで見たりすると「画面に映っている苦労や心労は本当に僅か」と思います。
一口に「介護」とか「老後の世話」とか言ってもその裏には様々な家庭の事情、親子関係の葛藤があるのです。
そんな事を考える度に「ワシの所はまだまだ恵まれている方なんだ」と思います。
本当は「そう自分に言い聞かせている」と書きたいが。
「これはワシの落書きだ」と言い放つこの今日出来にも書けない事が山ほどある。
親の事に限らず、仕事の事、友人の事、女性の事。
これがまたストレスを溜める。
いろんな「しがらみ」やワシの中の「モラル」がこの「表に出ようとする思考」を縛り付けている。
”まだ、狂ってはいない。”
その自制心によって「まだここにいる」という事を自覚できる。
夜、寝る時にその”記憶”がフィードバックする時がある。
叫びそうになるのを堪えて歯を食いしばる。
”誰しもそうだ、ワシだけじゃない。”と言い聞かせながら。
人は脆い。
「覚悟」などと言っても所詮それは心の中に高度に形成された「感情」の一つでしかない。
この世界に「常」のものはないのだ。
この世界に存在する全てが「無常」。
せめて「無常」なるものに「希望」を映しながら歩いていけるといいな。
と、思うようにしてるんだ。
才気ある馬鹿ほど始末の悪い馬鹿はない。(ラ・ロシュフコー)
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