四十而不惑

Posted by yonezo in 日記 | Leave a comment
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とうとう40歳になってしまった!
あー、人生の折り返しを強く感じる。

40歳と言えば、世間的には立派な大人ですよ。オヤジです。
なのに、なんでしょうかこのブログのアホな文章は。
もっと品のある文章を書くように育っていると、もっと若い頃の私は思っていたのに全く文章力は成長していません。いや文章力どころか精神力や忍耐力という「力」と名のつくものは悉く成長しておりません。
長年私の文章を読んで下さっている全国数人の皆様に心からお詫び申し上げます。

ごめんね。

 

今年の誕生日も例年通り、月初作業という事で朝方まで仕事でした。

1日生まれの宿命でございます。

FBで再会した小学校時代や中学校時代の友人から「おめでとー」のメッセージが来る。

深夜作業も捗ります。皆様本当に本当にありがとう。

わざわざメールでメッセージをくれた人にも、本当にありがとう。子供達が手を離れたら、また旅行とか行こうね。カラオケにも行きましょう。

さて、子牛、じゃなかった孔子は「四十而不惑」。40歳になったらいろいろ惑わされずに行けよ、行けば分かるさ!と言ったそうでございますが、小生40歳になっても惑わされまくりです。「小生40歳」とタイピングした文字列が「小学生4歳」に見えてしまうほど惑わされまくりです。

お陰様で仕事は順調で、そろそろ「誰か助けてー!」と言いたくなる程度まで忙しくなってきました。

今後もこの調子で楽しく忙しく時には苦しく仕事を続けていきたいと思っております。

 

思えば、30代は父親の死で幕を開けました。
正直、私を覆っていた巨大な暗幕から解き放たれたような、それでいて、もう私を導いてくれる存在はこの世にいなくなってしまったという喪失感と共に30代が始まりました。

仕事を終えて深夜、たまプラーザ駅から家に向かって坂を下っている途中。夜の向こうに薄っすらと聳える富士山を見て涙したのを思い出します。
誰かに頼りたくって寂しくて悶々として、毎日のように飲みに行っていた。

その後、結婚し子供を授かり、長年務めた仕事先に別れを告げて独立し、本当に苦しい時もありましたが家族や友人のおかげで、何とか何とかここまで来たんだと。つくづく思います。

心から感謝しております。ありがとう。

 

さて40代。惑わされてもOK!ただ進むべき道を見失わない事。
そのためには誠実であること、イデオロギーやドグマに囚われないプラグマティストを目指し、強くしなやかな強靭化した心づもりで生きること。

まだまだ成長していないという事は、まだまだ伸びしろがあるという事なので、張り切って生きます。

皆様今後とも、何卒ご指導の程宜しくお願い申し上げます。

とりあえずカラオケ行きましょうw

 

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