三陸海岸大津波、関東大震災【吉村昭】

Posted by yonezo in 書評 | Leave a comment
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本当はこれが読みたくて吉村昭をamazonで検索したんだが、かなり遠回りをしてしまった。

やっと読み終えた。

2冊を並行して読んだが、三陸は地震後の津波。関東は地震後の火災によって大きな被害を受けたという点で、地震そのものよりもその後の半人災的な要因によって死者が増大したという事が分かります。

三陸は本当に昔から何度も同様の被害を被っていて、そのたびに海のそばには住むべからずという言い伝えがあるのに利便性に勝てずそれを破って被害に合うという印象。

津波の被害に合いやすいという地形は、逆に海産資源の豊富な漁場でもあり、陸の孤島状態だった昔からその土地の人たちを養ってきた歴史がある。
だからこそ、これだけ何度も津波の被害にあっても離れることをせずに住み続けてきた。

文中には主だった津波被害の年表があるんだが、ほとんど定期的と言ってもいいくらいの頻度と間隔で襲われている事がわかる。

  • 貞観11年:869年
  • 天正13年:1585年
  • 慶長16年(2回):1611年
  • 元和2年:1616年
  • 慶安4年:1651年
  • 延宝4年:1676年
  • 延宝5年:1677年
  • 貞享4年:1687年
  • 元禄2年:1689年
  • 元禄9年:1696年
  • 享保年間:1716-1736年
  • 宝暦年間:1751年
  • 天明年間:1781-1789年
  • 天保6年:1835年
  • 安政3年:1856年
  • 明治元年:1868年
  • 明治27年:1894年
  • 明治29年:1896年
  • 昭和8年:1933年

上記は三陸沖を震源とする地震による津波に限らない。また、これ以外にも小津波はあって多分書き出したらキリがないので作者も書かなかったのかも知れない。

それほど、この土地は地震による津波の被害をうけやすい土地だという事らしい。

興味深かったのは予兆に関する項で、海での発光現象や音響と、井戸水の枯渇や濁りという現象が記録・目撃されている事。

今回も地震後に発光現象があったとかニュースでやっていたが、同じものだろうか。

 

地震があったら、とにかく高台に逃げる。

この土地に住むなら、これは忘れちゃならないみたいだ。

 

関東大震災は津波ではなく、火災。

しかも都市圏を襲ったため、津波とは違う惨状と化したらしい光景がこれでもかと書いてある。

印象的だったのは、火災が広がった原因が避難する人たちが家から持ち出した家財道具だった事。
逃げ惑う人たちが立ち往生して、火が燃え移り拡大した様子が書かれている。

そのため、比較的大きな河川(隅田川や荒川、多摩川など)があるにも関わらず、それを超えて延焼していく様は、かなりの恐怖だったに違いない。

対岸の火事と思っていたら、あっという間に橋を伝わって火が襲ってくるとか。

それと、今でも避難場所として学校の校庭や広い公園などが指定されているが、大規模な火災が起きた場合は、逆に危険だという事。

本所被服廠跡での悲劇が有名らしく、避難してきた人たちのほとんど約38000名が焼死。
原因はやはり持ち込んだ家財道具への引火と、火災が周囲を取り囲んだ事により巻き起こった旋風で逃げ惑うまもなく焼け死んだらしい。

また、風説や流言についても書かれていて、朝鮮人来襲についてはかなりの殺人・暴行が起こったらしい。実際にはそのような事実は無かったと書かれているが、同様に共産主義者も逮捕されたり殺害されたりしたようだ。

大災害時にパニックになって、防御本能が過剰に働いた結果、日頃嫌悪していた対象へ攻撃が向かうという心理は分からないでも無いが、何というかほとんど発狂・魔女狩り状態。

また、膨大な死体処理についても書かれていて、火葬場の処理能力を超えた何万体もの遺体は腐臭が渦巻く中、そこかしこで焼却されたらしい。

上野の池は当時死体で水面が見えないほどに積み上がったらしいし、東京・横浜の被害と惨状は本当に凄まじかったみたいだ。

今と昔ではいろいろな面で事情が異なる部分もあるが、都市部で大災害があった場合に人々が取る行動と、起こりうる二次災害を知っておくというのは、避難訓練と同様に必須だなぁと再認識したのでした。

でも、三陸じゃないが、きっとこの本を読み終わった時に感じたそういう感想も時と共に薄れていって、実際に起きた時には役に立たないのかも知れないな。

 

関東大震災については、以下のサイトに当時の写真がある。(※閲覧注意)

関東大震災の写真集

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