先日、友人と飲みに行った席でいろいろと話していて、エロいお話から政治経済哲学倫理に至るカタい話までまぁいろいろ話したんだが、その中に原発に関する話題もあり、「日本と原発」という映画について紹介された。
今度、友人の会社で上映会をやるらしく、来ないか?との事だったので、それは良い機会だと思ってお願いしたのです。
で、帰宅後に「どんな映画なんだろう?」と調べていたら、上映会でやる予定の映画の続編が既に渋谷で公開されているとの事なので、早速仕事を抜けだして観に行ってきました。
その筋では有名な弁護士の方らしく、原発再稼動の禁止を司法に訴えて活動されているようです。
で、それだけならば特段珍しくもなく、反対派の一人なのだろうという感じでしかなかったのですが、
わざわざお金出して時間割いて観に行ったというのは、超映画批評の中でのこんな一文を見たからだった。
この映画はそんな弁護士が、「これ一本で推進派の主張を完全に論破し、原発問題のすべてがわかるように」と作ったもの。脱原発派よりも、御用学者や推進プロパガンダに汚染された裁判官、一般国民、政治家、そういった人たちの洗脳を2時間強でどこまで解けるかという、壮大な挑戦というわけだ。
なんというか、正直言って「やっとこういう映画が出てきたか。」という嬉しさがこみ上げた。
今まで「うーん、いろいろ考えてみたけど、今直ぐ原発の稼働を全停止しろっていうのはマズイんじゃないかなー。将来的に代替エネルギーや廃棄物処理の問題が片付くまでは動かす必要があるんじゃないか?」という、自称”緩やかな脱原発派”だった私としては、それでも「推進派」と呼ばれてしまう部分があり、その推進派の論拠を喝破してくれる存在がやっと現れたかという気持ちでした。
以前は、小出 裕章氏の本とかも読んでみたけど、推進派を論破できるほどの内容じゃなくてガッカリした記憶がある。
この映画にも登場しますけどね…。
というわけで、映画館に行って、チケットを購入。
まだ時間があったので東急の本屋に行って、監督の著書を購入。
時間まで読んで待ってました。
要するに、東電は責任を取ってない!原子力規制委員会はマトモな仕事をしていない!という感じで、それを裁判に訴える事で現在の再稼働の動きを阻止してやろうという事らしいです。
で、時間になり、そそくさと席について上映開始。
お客さんは平日の昼間とあって、30人ほどでしょうか。
小さな映画館なので調度良い感じです。勿論変な人とかはいませんでした。時間帯的に当然だけど、若い人はあまりいない感じ。
で、映画としてはよく出来ていると思いました。だってこれ、素人監督ですよね?
構成とかよく出来ていて、ちゃんと不快感無く観れるのです。
特に、所々「河合塾」と呼ばれる、推進派論破のための解説シーンがあって、これは良かった。
この内容は前掲の著書にも書かれていて、本を買った人は内容を後から確認できるようになってます。
「推進派の人達はこんな屁理屈を言って、再稼働の理由とするけど、そんなのはこうやって論破できるんだよ」講座です。
早速だが、ざっと列挙してみよう。そして、それに対しての私の個人的な感想などを書いてみたいと思う。
1.原子力ムラ
電力会社を中心とした政府・学者・銀行・関連企業等との癒着構造による、原発安全神話のプロパガンダや、総括原価方式への批判などでしょうか。
「原子力村 相関図」などでググると、沢山画像が出てくるので、見てみるとわかると思います。実際のところ、この相関図を見ても、どんな風に「悪しき癒着」があるのか分からないのですが、正直この相関図を見て思ったのは
こんなん、どの大企業でも同じような構造なんじゃないの?
という事でした。
それなりの会社であれば、広報活動だってするだろうし、銀行から融資を受けるでしょうし、下請け会社との強固な結びつきもあるでしょう。
大企業ともなれば、電力会社に限らず政府・政党、官僚とのやりとりなどもあると思います。
なぜ電力会社だけが問題になるのか?
ここで、元経産省官僚の古賀茂明氏が登場するんですが、「電力会社には誰も逆らえない」的な事を言ってました。
確かに電気を止められたら大変です。
企業活動どころか、日常生活も困難な状態になってしまうでしょう。
だけど、「誰も逆らえないから、何をやっても許される、誰も批判しない構造だ。」というのは、飛躍し過ぎてるような気もしないでもない感じ…。
要するに、代替となる会社(消費者が購入先を選択できない)が無いから、言うことを聞くしかなくなるという事なのでしょうか。で、これを言い出した結果が、電力自由化の流れなんですかね?
私は別に東電の株主でもないし肩入れするつもりもなく、どうしても東電から今後も電気を買い続けたい!とか全く思っていません。
ただですね、「電力自由化で電気の購入先が選択できるようになって、イイじゃん!」とは全然思わないのです。
もし自由化されて、各企業が参入してきたらどうなるでしょう?
きっと他の企業・事業と同じように価格競争が起きるのではないかと思います。
価格競争が起きるとどうなるか?
電力会社はコストを抑えるために設備投資を抑制する他無くなります。
このコストは人件費かも知れないし、純粋な設備投資費用かも知れない。
もし、人件費を抑制するとどうなるか?当たり前だが優秀な人材は流出するでしょう。
そうなると「安全」という担保が希薄化するというのは容易に想像できる。
そして、もし設備投資が抑制されるとどうなるか?
これは「安全」ばかりでなく「安定した供給」という部分でもサービスの品質を毀損する事は免れないと思います。
実際、自由化されて価格競争が起こった結果、自分が購入していた先の電力会社が倒産とか撤退とかしたら、どうなるんでしょうか?
電力会社は発電だけではなく、送電も重要な仕事の一つです。
「今まで購入していた電力会社が電力事業から撤退したから別の電力会社に変更しないといけないけど、その会社の送電網はここに来てなかった…。」とか、そういう事があり得るのではないかという話。
実際にこんな事が起こったら、別の会社が送電網を引き継ぐなどして消費者の利便性を損なわないような措置が取られるとは思います。
ただ、その結果、今までと同じような品質のサービスが享受できるかどうかは起きてみないと分かりません。
これは携帯電話などで例えるとわかりやすいかも知れない。
こう考えると、確かに一社独占な状態であって、影響力は大きいのかも知れませんが、直接国民の生活や生命に関わるであろう「電力」という商品の「安全」と「安定供給」を担保するためには、会社が安定して経営できるように独占や総括原価方式という価格設定の方法を容認したり、場合によっては税金を投入するというのも、必要な事なのではないかと思うのです。
というか本来なら水道のように官がやるべき事なのかなとも思います。ただそれはそれで問題もあり、その上での試行錯誤の結果として「総括原価方式」という方法で安定的な経営と、それによる電力の安定供給を図るという結果になったのかと思います。
ってこんな事を書くと「こいつやっぱり共産主義者だったか。」とか思われるのだろうか…。((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
という訳で、原子力ムラって言うけど、各企業の強固な結びつきとか、独占状態になるという事なども、こと「電力」に限った話で言えば、そんなに悪い事なのだろうか?
とも思えてくるという部分については、どうもこの相関図だけでは納得出来なかった感じが残念だった。
2.自己完結型永久エネルギー構想
まぁ確かにプルサーマル計画など、夢のエネルギー構想かも知れません。
技術的な問題が沢山あって、これって実際の所、制御が難しすぎて人類には無理なんじゃないの?と思われている事も事実だと思います。
だけど、推進派が言っているのは、その先の話だと思うんですよ。
別に、永久機関のような無尽蔵のエネルギー源が絶対に必要だなんて言ってなくて、国家の生命線の一つであるエネルギーの供給をいつまでも外国に頼ってばかりじゃダメだろう。という話。
一言で言うと「エネルギー安全保障」の問題ですよね。
現在の火力発電で使われているガスや石炭・原油等の燃料は、そのほとんどが外国から購入しているもので、これが万が一購入できない、もしくは値段が跳ね上がる、もしくは輸送手段が無くなるなどの事態が発生した場合に、日本はどうなるのか?
実際にそのような事態に陥って国内が混乱した経験もあるし、それが遠因で戦争にまで至った経験もあるというのに。
これだけ中東情勢や海上輸送上の問題(シーレーンの安全確保や中国による南沙諸島への攻勢等)があるにも関わらず、このような緊急事態を考慮せずに原発を即時停止しろというのは、あまりにも国際情勢に無頓着だと思われても致し方無いように思われる。
現実的には、もしそのような非常事態が発生した場合、日本国内に備蓄している分だけで、数ヶ月。
そして、海上を輸送中の燃料が無事に到着して利用可能になる事を含めても、現状と同様の生活水準・生産活動を保とうと思ったら、多分1年も持たないのではないだろうか。
とかく脱原発の人達は、目の前の危険性ばかりを取り上げて批判する傾向があるんだが、国家レベルでエネルギー安全保障というものを考えると、どうしてもこのような「外的要因」について考慮せざるを得ない。
これについては、どのように考えているのかという部分についても、解説して欲しかった。
なので、純国産のエネルギーがあれば、別に危険を冒してプルサーマル計画とかやる必要は無いのかも知れない。
国産のエネルギーと言うのには、太陽光などの自然エネルギーなども含まれます。
勿論、メタンハイドレートとかが安定的に大量に供給できるようになれば、それはもう最高だと思います。
その時に初めて「原発の時代は終わった」となるのかも知れない。
この映画の中でも太陽光発電や風力発電を賛美するような描写(デンマークの洋上発電など)があったけど、それ自体は成功しているのかも知れないし、良い事なんだけど、それをそのまま日本でもやろうとした場合に考慮しなくてはならない地政学的な要因についても触れないとフェアじゃないような気がした。
要するに、日本とは違い、安定した偏西風と、遮る山などが少ないという意味での広大な平地の存在ですね。日本には台風などもあるし。
それと、安全保障という観点から言えば、太陽光発電に代表される自然エネルギーの供給面での不安定さについても、「それでも問題無い」とする論拠が欲しい所でした。
月明かりでも発電できるような月光発電とかあればいいんだけど、そこまでの技術はまだ世界的に見ても無いのではと思います。
日差しの少ない日や夜間、風の吹かない日、そんな日は「頼ることができない発電方法」となってしまう。
蓄電技術についても、原発の代替となるようなレベルで言えば、実用に耐えられるものはまだまだ先の話のようです。
原発なんて無くても自然エネルギーと水力火力でやっていけるじゃん、と言う人もいるんだけど、自然エネルギーについては、この「不安定さ」の克服が大前提という気がします。
そういう意味で、「原子力の安定的な供給能力というのは不安定なエネルギー源に比較して大きなメリットであり、代替となる安定的なエネルギー源を確保できるまでは稼働する必要性があるんじゃないか。」と推進派の人達は言っているんですよね。
停電のほとんど無い日本の電力事情というのは、そこに暮らしている我々にとってはもやは「当たり前」の環境になっているのかも知れないが、それは電力会社の人達の努力と技術によって支えられていて、もしそれが要らないというのなら、そういう環境を失った、その先の世界、状況というのを想像しないとダメなんじゃないかとは思います。
3.核兵器開発
原発でウランから生産されるプルトニウムには、濃縮した兵器級プルトニウムとなると3~4kgで核爆発を起こさせるだけの力があり、要するにこれが対外的な抑止力になるのだという主張を国会議員や新聞、元自衛官の原発推進派が取った事を批判しています。
昨今、中国がこれについて批判していたのは記憶に新しいところ。というか、やっぱり抑止力になっているんだなと思ったw
で、反対派としては、こんな核兵器開発のために原発を稼働するなんてトンデモナイという感じです。
その論拠としては、「世界で唯一の被爆国である日本が核兵器開発能力を持つなどということは断じて許されない」という事みたいです。
「世界で唯一の被爆国」というのも、今ではガチで(核実験のために)被爆されている国・地域の方々から「日本だけじゃないぞ!」と指摘されているようですが、反対派としては、そんな事は問題ではありません。
勿論、原爆の犠牲になった方々は大変な思いだったと思うし、苦しんだ方々も大勢いるとは思います。
だけど、いくらなんでも「原爆」と「原発」とを同じ観点で論ずるのは、どうなのかと思ってしまうのです。
これは逆に原爆による犠牲者の方々に対して失礼な気もします。
別に抑止力が必要ならば、プルトニウムを持つ必要もなく、単純に軍備を増強したり、日米安保の強化とかいろいろ方法はあると思います。
プルトニウムが抑止力になるからと、原発を稼働させ続けるというのは愚の骨頂のような気がしますね。ただ、上記プルトニウムの抑止力について指摘した人達は、原発稼働の副産物としてプルトニウムが生産されてしまうとしたら、それはそれで意図せずとも抑止力となるはずだから、強かに利用すれば良いのではないか。という事を言っているのだと思います。
いきなり「どうせプルトニウムがあるんだから、原爆作ろうぜ。」という話に飛躍して考えて批判材料にしてしまうのは、反対派としては避けなければならないし、安直な発想しかできないのかと逆に批判されるような気がします。
4.原発における科学・技術の進歩を問う
推進派がよく言う事として
「1回や2回の失敗で諦めてはいけない。失敗してもそこから改善し、更に良い技術を開発することで科学・技術が発展していくのだ。自動車や飛行機などもこれまでに大量の犠牲者を出しているが、諦めずに技術開発を行ってきたお陰で今日の恩恵があるのではないか。」
というものがあるそうです。ある意味で、これはこれで真っ当な意見だとは思います。
ただ、河合氏に言わせると、これは「個」の死であって、「種」の死では無いと。
確かに、飛行機事故などで沢山の犠牲者が出る事については悲惨だとは思うが、それによって人類が滅亡するわけではない。
あくまでも、その飛行機に搭乗していた人達や巻き込まれた人達に限定された犠牲であって、原発事故のような国家、人類への影響をもたらすものとは、次元が異なる、といういうような事でした。
私も個人的には、「何でもかんでも諦めずにチャレンジすべきだ」、とは思いません。
あまりにもリスクがあり過ぎるならば、やめといた方が良いという選択は場合により正しい判断だと思います。ただ、そう思うのも、あくまで「個人的には」です。
これ、リスクがあり過ぎるからと言って、やめてしまっても良いのだろうか?ある意味では、いま我々が安全で快適な生活を送る事ができているというのも、過去に生きた先人達がリスクを背負って多大な犠牲を払いながら築いてきた技術やモノのおかげです。
当然だが、原発の事故が起きるまでは、原発由来の電力の恩恵を享受しながら生きてきたわけです。
そういう意味で考えると、今ここで原発技術の発展が停止してしまう事によって、未来の日本人へ禍根を残す事にはならないだろうか?と。
まぁ、それは考えすぎかも知れませんが。
あと、これとは別に、あくまでも個人的に思う事があって、それは、原発事故における危険度や影響の基準について、というもの。
緩やかな反対派としてのこのエントリを根本から覆すような話なんだけど、「そもそも放射線て、どんだけ危険なのか?」という問題です。
ベクレル、グレイ、シーベルトという放射線量の単位は散々ニュースなどでも解説されてきたので、ほとんどの人はその違いについて理解していると思うんだが、
まだまだ「半減期」とか、そもそも放射線てのはどういうものなのか、という事については、それ自体が肉眼では見えないという事もあり、理解が進んでいないような気もするのです。
とは言え、私も理解は出来ていないのですが。
この映画の中でも、放射線量における発がん確率のグラフについて、「しきい値なしモデル」を採用するべきという主張があったような気がします。
これを読むと、とにかく、「低線量でも影響が無いという事が証明されてない限り、安全とは言い切れない」という主張だという事が分かる。
ただ、そうは言えども昔からラドン・ラジウム温泉とかで人工的な低線量の被爆は身体に良いという事で、みんなそういった施設に行ったりしていて、それでガンになったという話は聞いたことが無いし、もし低線量でも身体に悪影響が出るという事なら、飛行機に多く乗る人は発がん確率が高まるはずだし、世界を見渡せば現在の福島を上回る線量を記録する場所・地域はいくつも存在する。
しかし、そこで何か特別な健康被害があるという報告は無いとの事。
2013-03-02 環境放射能調査 (ブラジル・ガラパリ)
世界の高自然放射線地域
また、半減期については、それが数万年にも及ぶ放射性物質については、「何万年も汚染されて人が住めなくなる!」という議論になりがちだが、数万年かけて放射線量が半減するという事は、すなわち単位時間辺りに放出される放射線が極端に少ないという事になる。
これはよく推進派が肩たたきに例えるんだけど、「1トンのパンチと、1回当たりの圧力が1kgの肩たたき1000回では、どちらが危険だろうか?」と。
受ける圧力の総量は同じなわけです。
実験するまでもなく、前者では肩が崩壊し、後者では人にもよるが肩こりが改善するかも知れない。
放射能についても、半減期が短いものほど危険であり、長期に渡るものについては、それほど危険ではないのではと思うのです。
【放射能】福島第一原発から飛散した主な放射性同位体(核種)全31種・放出量・具体的な人体への影響など
長い半減期の放射能は危険、という誤解
そう考えると、原発事故後の初動対応というのがいかに重要かと思うのです。
「とにかく逃げろ」というのは、津波に限った事ではなく、原発の事故についても同様という事ですね。
但し、その避難期間は長くても数ヶ月で十分であって、現在のような数年間もの長期間、避難するというのは、どう考えても放射能からの影響よりも、避難生活から来る苦労・心労の悪影響の方が勝るように思うのです。
実際、チェルノブイリの事故報告でも、その後の避難生活によるストレスが原因で亡くなった、もしくは病気になってしまった人の方が、放射線による影響よりも大きかったというような事が報告されていたというような事を聞いたような無いような。
映画の中でも、避難生活の苦労から自殺してしまった人達について取り上げられていましたが、当事者でなくても、「なぜなんだ!」という気分になります。
遺族は東電を訴えて、結果、東電には賠償金の支払いが命じられました。
しかし、これは東電を訴えるべきなのだろうかと思ってしまいます。
訴えるべきは、避難生活をいたずらに長引かせている政府なのではないか?と。
こんな事書くと、猛烈な批判が来そうだが、正直なところ、ニュースとか見ていてそんな風に思ったのです。
で、こういう事を鑑みると、果たして現在の福島は広範囲に避難しなければならない程に危険なのだろうか?とか、土壌汚染や汚染水の問題なども、もう少し冷静に評価する必要があるのではないかとも思えてくるのです。
福島に限らず、隔離された避難区域では、動物達の楽園になっているとの事です。
チェルノブイリ立入禁止区域、動物には事故以前より快適? 福島のイノシシ野生化と関係はあるか
放射線というのは、人間には危険だけど、動植物には害がないのか、それとも、これから数十年経った頃に繁殖した動物たちはバタバタと死んでいって文字通り、死の土地となるのか。
福島の原発事故に関わらず、それまで世界中で行われた核実験によって飛散した放射性物質が降り積もっていて、何を今更な状態という話も聞きます。
反対派としては、上記のような事について一つ一つ反論を展開する必要があるのではないかとも思うのです。
少なくとも、科学的・医学的に証明されていない事や、局所的な調査や統計だけで、いかにも放射線によって被害が発生しているというような意見・報告はするべきではないと思います。
5.国富流出
経済的側面についての解説が登場しました。
全原発の停止によって、現在の日本はその代替電力の確保を行うために火力発電の割合を増やしています。
そのために、追加購入されている化石燃料の費用が、年間3,6兆円との事です。
これは多分ですが、2013年通年での対カタールに対するLNG購入の貿易赤字額が根拠かも知れません。
これは、公表する団体・組織によってバラつきがあるようですね。また、実際には円安や価格高騰の影響などもあるので、それを差し引くと実際には1,5兆円という試算も出していました。
果たして、円安や価格高騰の影響があるとして、それを差し引いた「実は1,5兆円」という金額にどんな意味があるのか分かりませんが、
現実に出て行っているお金は3,6兆円との事。また、過去には貿易赤字の主要因となっている事を取り上げて原発停止を批判する記事などもありましたが、この際、貿易赤字が原発再稼動の理由とはならないと考えるので、無視です。
推進派が、毎年これほど巨額の追加燃料費が外国に流出しているという事に対して、「だから、原発は稼働するべきだ」という論法を取っているという。
それに対して映画の中では批判していました。
で、批判の根拠なのですが、現在の日本のGDPは約500兆円であり、追加の燃料費とは言え、1%にも満たない。
原発を停止することによって安全と安心が確保されるのなら、GDPの1%にも満たない金額を追加で支払うとしても、問題は無いだろうとの事でした。
また、国富(日本の資産から負債を引いた純資産:原文ママ)は約3000兆円もあるので、代替燃料や自然エネルギー技術の発達を待つまでの間、毎年追加の費用がかかったとしても特に問題は無いとの事です。
とりあえず、著者の河合弁護士は財政破綻論者ではない事が分かりました。それはそれで嬉しいw
まぁ問題は無いのかも知れません。
ただ、もしもこのお金が、逆に国内で使われていたと考えると、GDPを1%近く引き上げる事になっていたのではないかという推測が働きます。
あくまでも推測です。
日本は経済規模が大きいために、この程度のお金を追加で請求されたって特に問題無いという。
3.6兆円。
人口が1.3億人とすると、一人あたり年間27,000円くらいですかね。
うちは4人家族なので、毎年108,000円払えば、原発の恐怖から逃れられるという事か。
自然エネルギーの実用化や国産代替燃料の確保に目処が付くのが10年後だとして、約100万。意外に安いものです。
日本国民は文句言わずに一律でこの金額を負担すべきだと思いますね。
6.浜岡原発と南海トラフ巨大地震
今後30年間の間に約87%の確率で発生する巨大地震が原発を襲ったらどうなるのかという問題です。
現在、中部電力は静岡県御前崎市にある浜岡原発に、22メートルの防波壁を建設し、その他地盤改良工事や補強工事を行っているようです。
もう終わってるのかな?
しかし、浜岡原発差し止め訴訟団の弁護団は、原子力規制委員会の作成した津波審査ガイドを分析した結果、津波の高さは63メートルに達するとして、中部電力に警告しているようです。
63メートルの津波というのは、決して非現実的な数字ではなく、もしそのような巨大な津波が押し寄せたら、22メートルの防波壁なんて木っ端微塵なのでしょう。
しかも、もし63メートルもの巨大な津波が襲来したとして、それに匹敵するような巨大な防波壁に激突すれば、100メートル近い高さまで達する可能性があるようです。
もうこれだけで、沿岸部への原発建設は止めたほうが良いだろうと思ってしまいます。
というか、63メートルの巨大津波が来る事を想定するならば、原発反対よりも先に、周辺住民・施設をどうするかという議論の方が緊急性がある気もします。
南海トラフは太平洋側なので、日本海側で…とも思いましたが、日本海側でも地震は発生するし、津波も発生する。
では、そもそも沿岸部ではなく、山間部では…とも思ったが、どうやって冷却水を確保するんだという問題があるみたい。
うーむ、やはり本当に津波の影響を免れたいなら、大きな河川の周辺に…。
日本ではどうやっても無理という事ですね。
7.汚染水問題
福島の原発は高台を掘り下げて作られた施設らしく、そもそも地下水が流れ込みやすい地形になっているようです。
そして現在でも毎日400トンの地下水が建屋内に流れ込んで汚染され、一部が海へ流れ込んでいた事から、大変なニュースとなりました。
これは4.原発における科学・技術の進歩を問うの所でも書いたんだけど、そもそも汚染水ってどの程度の汚染なんだろうか?
この映画や本には、「汚染水」とだけあって、それがどのような放射性物質による汚染なのか、具体的にどの程度の汚染度合いなのか、海洋へ放出した場合にどのような影響があるのかについては言ってないように思います。
ネットの情報を確認してみても、見るソースによってバラつきが激しくて、数百億ベクレルとか、◯京ベクレルとか、見ると驚くような数字です。
しかし、これも「問題なし」とする推進派の意見もあって、この映画で言うような「屁理屈」とも言い切れない説得力があるのです。
フランスの、ラ・アーグ再処理施設では、2012年の1年間で、1京1600兆ベクレルの汚染水を排出。
カナダのブルース発電所でも、2012年の1年間で、1280兆ベクレルを排出しているが、全く問題にはなっていないとの事。
これについて、反対派としては、どのように説明すれば良いのでしょう。
そこの所も掘り下げて説明して欲しかった。
なので、「汚染水が太平洋に流れだしてそれがアメリカや欧州にまで到達して迷惑をかける」という京大の先生もいましたが、それ本当ですか?という気もするのです。
本当ならこういった情報や、汚染水といっても問題のない放射性物質である、という事をもっと政府が言うべきだと思うんですが、まぁ政治的な理由か何か分かりませんが、言ってないですね。
汚染水に限らず除染作業にしても、なんだか業者が儲かってるだけという気もします。この辺の
「放射線による人体への影響を放射性物質だからと一括りにして論じる事はできない」
「そもそもベクレルで論じるのは不適切でありシーベルトで論じるべき」
など、放射線の影響を語る上でのマナー的な作法があると思うんですが、この辺は反対派も気をつけるべきじゃないかと思います。
8.テロ対策
これ、先日山本太郎氏が国会で詰め寄ってた件ですかね。
私はあんまりこの人好きじゃなかったんですが、この質問は的を得てるなと思いましたです。
本の中では大きく3つの脅威について書かれていて、以下のようなもの。
1.ミサイル・戦闘機・潜水艦による攻撃
2.サイバーテロ
3.テロリストの侵入
いずれも、北朝鮮からの攻撃を想定しているようで、実際にこんな事が起きたら、原発でなくても大変な事になります。
海外(アメリカ)では、こういった脅威に備えて、原発専門の特殊部隊・組織があるそうです。
日本でもそういった措置を行えばいいと思うんですが、なぜしないのか謎ですね。もしかしたら既にあるのでしょうか?
山本氏の指摘のように、まずは試算して有事計画を立てるべきなのではと思うのですが、よく分かりません。
この辺は、何か他の要因があるのかも知れません。憶測ですが。
そして、「それじゃ、そういったテロ対策を行えば原発稼働も容認するのか?」と言われたら、決してそうはならないでしょう。
どこまでやっても「想定外の事態が発生する確率はゼロにならない」という、ありがちなゼロリスク幻想を言い出す人達がいるからです。
そもそも原発がそういう事、ほんの少しのリスクをも許さない施設だからでしょう。
あと、「ミサイルが飛んできたら自衛隊が迎撃すれば良い」とか、そんな事を今時言う推進派っているのでしょうか?
動画の中では総理が発言しているみたいですが…、実際にどれだけ有効なのか分からないですよね…。
と、以上、本当にざっくりとですが、映画・本で言われていた反原発の理由について考えてみました。
あくまでも、上記は私の認識なので、事実と反する部分もあるかと思いますが、まぁ市井の戯れ言と思って頂ければと思います。
推進派の言うことも理解できる部分はある。
だけど反対派の「何かあったらどうするんだ」という一言には、どんな経済的、安全保障上の理由も敵わないような気がしてきますね。
いくら対策しても、非常事態を想定して、訓練して、設備や技術の開発・改善を行おうとも、稼働の理由にはならない。
「何かあったら、もう一度起きたらどうするんだ。」
この一言で論破です。思考停止です。
これまで送ってきた生活・生産活動などのレベルが下がろうと、技術開発や人材の育成が遅れて既存原発の廃炉や廃棄物の処理に時間がかかろうと、長期間に渡り国富が順調に外国へ流出して経済活動が滞ろうと、外国にエネルギー供給を依存して安全保障を失おうと、その他モロモロ不都合や不便が生じて、国民生活のレベルが昭和、大正の時代に逆戻りするようになっても
原発が事故を起こすよりマシだ。
という事です。まさに
安全のためなら死んだほうがマシ
という事でしょうか。
悔しいかな、反対派としては、「それは言いすぎだろ。」とは言い切れません。
なんせ、どれだけ対策しても、何が起こるか分からないという前提で再稼働に反対をしているのですから、推進派の前提だけ「それはあり得ない。」とは言えません。
映画の中でも描かれていますが、戦後原発の稼働を実現して電力供給のバランスが取られ、安定した電力の供給が実現した事によって復興や発展を成し遂げたという事は認めています。
そう考えると、文字通り発展のエネルギー源となった一翼である原発を、今後も稼働しなかったために日本が数十年という長い期間をかけて没落していくという事態もあり得ないわけではなく、その可能性を100%は否定できないからです。
結局のところ、それだけのような気がします。
映画は、新垣隆氏の素晴らしい音楽で締めくくられていました。
そして、上映後には河合弘之氏本人が挨拶のために舞台に登場していました。
私は本にサインも貰ってしまいましたw