【行ってきた】混迷する世界情勢を読み解く

Posted by yonezo in 日記, 書評 | Leave a comment
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前回と同じく朝日カルチャーセンター横浜にて中野剛志先生による講座を受講してきたです。

 
今回は1月に出版された「日本防衛論」の出版記念講座という位置づけで、
この本の内容を元に、更に脱稿した後に起こった世界情勢についての情報も交えつつお話されるとの事でした。

講座の冒頭に
・資料の内容については転載しない事(著作権とかあるので)
・講座の内容についてはツイッターなどで引用しない事
などの注意があったので、ここでも直接の引用・転載は出来るだけ避けたいと思います。
なので、ざっとした感想を書いていこうかなと。

まず、最初に取り上げられたテーマは「経済成長・イノベーションの時代は終わったのか?」という事からでした。
経済学者のRobert J. Gordonによる以下の研究をもとに、第一次から第三次までの産業革命を振り返ってみると、
もうこれからは過去に起こったような巨大なイノベーションというのは起こらないのではないか、
そもそも、過去250年で発生した産業革命による実質GDP成長率というのは、人類史上でも特異な現象であり、
今後もこの成長が続くと考える方が難しいという内容でした。
参考:Is US economic growth over? Faltering innovation confronts the six

中でも第三次産業革命である、いわゆるコンピュータ・インターネットの発明・発達(IT革命)については生産性に与える主な効果は8年間で消滅しているとのこと。
確かにコンピュータやインターネットで生産性を向上って話は、昔は「コンサルが儲かる」って友人なんかと話題にしてた時期(15年くらい前)に考えたりしてたけど、それ以降は何というかコンテンツサービス系のいわゆる「レジャー・遊び・ゲーム」的な要素がピックアップされてばかりな感じが否めないと思ってしまった。(ちょと違うかなw)

で、「なぜイノベーションは鈍化したのか」というテーマに移り、その理由として3つの原因についてお話されていた。
1.企業組織・国家体制
2.国際経済体制
3.国際政治体制
の3つ。

1.の企業組織・国家体制による要因というのは、新自由主義的な企業風土や国家経済政策が進むことにより、経営者は短期的な視点でしか経営計画やビジョンを持たなくなり、長期的な計画・研究についての投資行動が衰退していったという事が挙げられる。
ここでの新自由主義的経営行動というのは、簡単に言うと企業経営の目的が技術開発による生産性の向上やイノベーションから株価・市場価値の極大化にシフトし、企業が経営者のモノではなく株主のモノになってしまったという事。
短期での利益計画・達成が無いと株主が文句を言うようになって、結果的にイノベーションが起こらなくなり、技術力が衰退し、生産力は海外におまかせ状態で、競争力も鈍化するという悪循環は現在の世界経済の深刻な問題として顕在化しているのは周知である。

上記のようなビジネスモデルや組織形態が進むと必然的に格差が拡大し、今の韓国のような状況になってしまうと。
経営者が短期的視野しか無く、利益至上主義な会社で長期的なイノベーションが育つはずもなく、これが現代のイノベーションの鈍化を招いているという事でした。

2.の国際経済体制については、Robert Skidelskyの「Keynes: The Return of the Master」から引用があり、
1973年までのブレトン・ウッズ体制からワシントン・コンセンサス体制に移行した結果、世界経済の平均実質成長率、1人あたりのGDPの平均成長率が下がり、平均失業率は上がってしまったとの事。

簡単に言うと、
ブレトンウッズ体制:固定相場制
ワシントン・コンセンサス体制:変動相場制

グローバル化が進み、資本移動の自由が推進された事により各国の経済政策の目的が「完全雇用」から「物価の安定(低インフレ)」となり、近年の日銀政策のような「中央銀行の役割はインフレを抑制する事にあって、失業率がどうなろうと知りません。」というスタンスが結果的にデフレを招き国民を不幸にしていったのではないかという事でした。

3.の国際政治体制については、Charles P. Kindlebergerの「覇権安定理論」から引用。
これは「日本防衛論」でも詳しく解説されていたが、凄く簡単に言うと…

・自由な世界経済が成り立つためには自由貿易のルールだとか様々な制度・原則・環境が無くてはならない
・そのような環境は「国際的な公共財」であり、各国が維持コストを分担する事が必要
・道路や橋のような公共財を建設するための税金は国家という強制力があって初めて国民が分担に応じるように、国際社会においても上記のような「公共財」への負担については、強制力が必要である。
・また、国際的な経済危機についても圧倒的な経済力を持つ国家が「最後の貸し手」となる事で救済する事が可能となる
・このような強制力と経済力を持つ国を「覇権国家」と呼ぶ。

てな感じです。

歴史上、この「覇権国家」が存在したのは二度しかないとの事。
それは、圧倒的な海軍力と経済力を背景に第一次世界大戦までの世界経済を牽引したイギリスと、第二次世界大戦以降のアメリカである。
ただ、覇権国家体制というのは自らが構築した自由貿易体制によって、その恩恵を享受した他の国々が相対的な経済力を高める事によって、不安定化するという構造を内包しているとの事。
象徴的な話として、以前はアメリカが世界のGDPの5割を担っていたが、G7体制の頃には3割まで凋落。
最近では2割まで落ちていて既に世界経済への影響力や強制力は無いに等しくなっている。
その証拠にG7からG20となり、限られた国家で世界経済についての議論を行い、決定する事が難しくなっているとの事でした。

現在ではG20から「Gゼロ」の時代となり、覇権国家が不在の極めて不安定化した世界情勢が現実になっている。

ここから、「日本防衛論」後の内容にシフト。

「これから、どういう世界になるのか」

米国国家情報会議報告書によると、「遠回しだが、そろそろ戦争が起きそうなキナ臭い情勢だぜ。」という事が書いてあるらしい。
チャックヘーゲル次期国防長官、ジョン・ケリー国務長官、ヘンリー・キッシンジャー、ジョセフ・ナイらの発言等から、アメリカは台頭する中国との関係について、対立するのではなくパートナーとなって今後の世界経済を牽引する必要があるという旨の方向に舵を切りつつあるという事が明らかになってきているとの事。

で、アメリカと中国が手を組む、もしくは同盟とはならなくとも友好な関係となって今後の世界のリーダーシップ(覇権国家)を目指すとなると、どう考えても日本にとっては不都合満載な話となる。
アメリカにとってはこのような中国との関係を構築する上で、日本との安保条約が邪魔となる事は必然で、もう「何かあればアメリカが守ってくれる。」というような事は理想論を飛び越えて非現実的妄想とさえ言える状況。

「日本防衛論」には記載されていたが、このような状況になる事を既に大平内閣(1980年)の時代に当時の政府は予見していて、政策研究会の一つである「総合安全保障研究グループ」が「総合安全保障戦略」という報告書をまとめている。
軍事的・経済的なアメリカの影響力が後退していく事を想定して、いくつかのリスクシナリオを設定したものだ。
その内容は現在でも、というか現在ではより緊急性を帯びた内容であって、再度この報告書の内容を吟味検討すべきだと仰っている。
その内容とは以下のようなもの。

1.自衛力の強化(北朝鮮によるミサイル攻撃、尖閣や竹島・北方領土問題等の国土防衛)
2.エネルギー安全保障の確保(原発問題)
3.食料安全保障の強化(TPP)
4.大規模地震対策(東日本大震災からの復興、国土強靭化)
の4つである。

どれも括弧内のように昨今議論されている問題であって、報告書作成から30年経過しても改善されるどころか大至急の対応が必要となっているのは明白。

また、上記の経済的問題の他にも世界経済フォーラム(ダボス会議)による「グローバル・リスク2013」ではいくつかの世界的リスクが提示されていて、現在の世界もこれまで以上に問題が満載なんだなと。

1.深刻な所得格差
2.金融危機
3.水資源問題
4.食糧危機
5.大量破壊兵器の拡散
6.高齢化への対応の失敗
7.温室効果ガスの増大

などなど。

ただ、最後に仰っておられたが、中国の隆盛はこのまま続くのかと言うと、そうでもなく、仮に経済成長を続けて一人あたりのGDPが増えていくと民主化圧力となり、それはそれで中国国内が不安定化するというリスクがある。
また、これまでのような経済発展が今後も続くかというのも疑問視されている状況なので、まだまだどうなるか分からず、日本が取る今後の選択によって世界が大きく動く可能性も否定できない。

中野先生は「悲観的過ぎる」という風に言われる事が多い評論家だが、
「これらの状況を鑑みて考えると、悲観的過ぎるというのがいかに楽観的な評判かと思う。」というような事を仰っておりました。

アメリカにはもう頼れないという事が中国の存在によって明確になった以上、
もう今までのような甘ったれた依存体質から脱却しないと本当にこの国は滅びるんじゃないかと思ってしまいます。

じゃーお前に何が出来るんだと。
御託並べてないで、だったらお前が立候補して変えればいいじゃないかと。

んー、そうなのか、行動しないとこういう政治的な事は考えたり主張したりするのは
卑怯な事なのかと思っていた時期もありましたが、最近は「国民にとって政治的な事を考えたり議論したりする事もひとつの”政治活動”なのだ。」と。
そう思うようにしております。

何より、新聞やニュースなんかで子供たちが聞いてくる事に対して「政治や経済は分からんよ。」と言うのは本当に恥ずかしいし、これから何が起こるか分からない世の中で、出来る限りの防衛行動を取るために、今後もこれらのテーマについては考えていこうと思ったのでした。

以上、録音もせずメモも取らず記憶を頼りに書いていて、経済学的内容についても独学で得た知識を元に書いているため、間違い誤認について指摘して頂けると幸いです。

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